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「傘と胡椒」付属ブログ
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初雪が降った翌朝、新聞の折り込みチラシの中に、他とは少し色合いの違うものがあった。コート紙ではなく普通の印刷用、500枚498円で売っているような紙。印刷の仕方も、普通の広告や本の挿絵に使われているような隙のないものじゃない。僕の家のプリンタでも出せるような、平板でムラのあるものだ。インクのカートリッジの行き来した跡が鮮明に残っている。近所のスーパーとしまむら以外の広告は読みもせずに捨てる僕も、そのチラシだけは気になって、広告の束から抜き出して見た。ヨドバシカメラとかヤマダ電機とかユニクロとかホーマックとか、そういう大きくて分厚いチラシの間に挟まっていたから余計に目立ったのかもしれない。

A3サイズの紙の上半分に、猫の写真が印刷されていた。お気に入りらしい、くるみ割り人形の描かれた毛布に寝転んで目を閉じている。どこにでもいるような見た目だ。そういえば、僕が実家を出てから両親が飼い始めた猫に似ている気がする。灰色の身体に、細波のように黒のラインが入っている。少し湿ったようにてかっている鼻、その両脇から生える長いひげ。閉じられているから目の色は判らないけれど、整った毛並みや少し太り気味の身体は、たぶんこの子はいつもこうやって幸せそうに目を閉じているんだろうなあと思わせる。
そしてその写真の上に、影をつけたスカイブルーの字で、「迷い猫さがしてます」と書かれていた。
紙の下半分には、猫の名前や特徴が並んでいる。名前はチビ(ひどい名前だ)、メス、10歳。体重3kg、小柄。口元は白く、目は青い。左目に目やに。
その下に、過剰なくらい赤い字で、「家族も同然の大切なネコです。皆様の情報だけが頼りです」と付け加えられていた。雪で少し濡れたのか、文末の辺りは妙ににじんでいる。普通紙に家庭のプリンタで印刷したからだろう。出来すぎだろう、と思った。でも、紙の繊維に添って曖昧に広がった赤いインクは、たとえばチビの全身を駆け巡る血管を模しているんだよと言われたら、僕はたぶん馬鹿らしいと笑って言葉を失う。
紙の一番下に、「どんな小さなことでも結構です、お心当たりのおありのお方はご連絡ください」と少し敬語を間違えているような文章と連絡先が書かれている。電話番号は二つ(固定電話と携帯電話だ)、メールアドレスが一つ。アドレスは個人が持つものには似つかわしくない、まるで役所や地元企業が使うような、街の名前が入ったものだった。
たぶんチビは見つからないだろう、と僕は思った。そりゃ、東京ほどではないとはいえ、ここだって180万人が暮らす大都市だ。そんな中で、10歳なんてそろそろ寿命が近づいているような老猫が失踪した。見つかるはずがない。そもそも街のどの辺りでいなくなったかすら書いてないじゃないか。そう思ったけど、僕は結局そのチラシを、しまむらのものと一緒にテーブルの上に置いて学校に行った。それは、保存しておこうとしたわけではなくて、この一枚のために故紙入れまで移動する数歩を惜しんだだけのことだ。
家に帰った僕をそのチラシが迎えた。ちょうど携帯を持っていたので、毎週のように母親から送られる実家の飼い猫の写真を開いてみる。色は少し違ったけれど、顔の輪郭や鼻の形が似ている。それじゃあこの迷い猫はアメショーってやつなんだな、と僕はぼうやりと考えた。
チビ、と僕は呟いた。ただ単に身体の特徴を指しただけのその名前は、「爽一郎」という実家の猫の気張った名前とは違って、妙な親しみやすさがあった。チビ。チビ。コーヒーを淹れる湯が沸くのを待ちながら、僕は何度か呟いた。チビというメスネコはこの札幌の街のどこかで失踪して、そのネコは飼い主にとって、わざわざ新聞を使ってチラシをばらまこうと思うほどに家族なのだ。いいなあと思った。微笑ましいと思ったし、羨ましいと思ったし、妬ましいと思った。
実家を出た途端に僕の両親は猫を飼い始めた。離れの一室を使って「爽一郎のおへや」ってやつを作って、遊具やトイレや毛布や服を買って可愛がっている、と母は毎週のようにメールに書いて寄越した。ろくに連絡も入れない僕のせいもあるだろうけれど、実家に帰って客間のかび臭い布団に寝る度に、そして隣の部屋から遊具にじゃれつく音が聞こえる度に、僕は疎外感に苛まれていた。爽にゃんの分がなくなるから牛乳は飲むなと言われた。鰹節を豆腐に載せようとしたらそれは爽にゃんの御馳走だから食べるなと言われた。僕が昔気に入っていたパジャマは爽にゃんのトイレの下に敷かれていた。僕は爽一郎が嫌いだった。でも、爽一郎がいなくなったというメールが来たときははらはらして夜も眠れなかったし、見つかったという知らせが来たときには、授業中だったのにほっとして泣き出しそうになった。
チビを探してやろうかと思った。それはチビを失った大松さんのためとかじゃなくて、爽にゃんにパジャマを奪われた僕のためだったり、にじんでしまった赤いインクのためだ。
チビを見つけたらどうしてやろう。とりあえず一人暮らしの我が家に連れて帰って、大松さんが迎えに来るまでは遊びたい。あんなアドレスを書くくらいだ、大松さんは仕事中なのに飛んできて、スーツが汚れるのも構わずチビを抱きしめる。それでお礼ですと言いながら金一封くらいくれたっていい。
あるいは、と僕はなぜか、自分がチビを思い切り蹴り飛ばす場面も想像した。それは前の夜佐藤友哉なんて読んでたからかもしれない。ただ、休みの日に当てもなく街を歩き回って、丸井今井の前辺りで口元が白く左目に目やにのあるアメショーを見つけた僕が、その猫を優しく抱き上げる。あるいはしまむらで買ったスニーカーで蹴飛ばす。どちらも同じくらいしてしまいそうだった。そして僕はどちらをするべきなのか、僕はしばらく本気で悩んだ。
チビを探してやろうかと思った。探して、すぐに大松さんに電話をしてやろう。探して、道路を挟んで反対側まで蹴り飛ばしてやろう。二つの衝動が僕の中にあった。僕は学食で食べたカツカレーを吐いた。結局コーヒーは飲む気になれなくて、沸いた湯は一週間くらい洗っていない食器にかけてこびり付いた汚れを浮かすのに使った。大して綺麗にはならなかった。秋の終わりの冷たいシンクから、有機的な臭いのする湯気が上った。
それから何日経ったか忘れたけれど、僕は未だにチビを捜しに行っていない。大松さんがどんなスーツを着ているか、しまむらのスニーカー越しに触れる猫の頭はどんな感触か、僕は知らない。新聞にも、チビが見つかったとか死んでいたとかそういうチラシは折り込まれない。テーブルの上にはまだ「迷い猫さがしてます」のチラシがあって、僕はそれを見る度に胃の奥からもう消えたはずのカツカレーが上がってくるのを感じて、ベッドに入って布団を頭からかぶる。 
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